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先日、休学届をだしてきた。
居心地が良すぎる場所ともしばしのお別れ。
けど、何かいい意味で諦めがついた。
自分をかわいそがるのも飽きたし、もう言ってる時でもない。
好きな場所に、いつまでもそんな理由で留まるわけにもいかん。
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第二ラウンドはあっという間に終了。
仕方がないので第三ラウンドに移る。
訳あって、自分の製作物記録集を一昨日より作っていた。
今後はどうなるかは分からんけど、何とかする。
第二ラウンド開始。
今日、マカロンドーナツなるものを食した。
(奥がフランボワーズ、手前がパッション)
マカロンのジュワットした層とドーナツの硬さが良く、美味しかった。
阪急プラムキューブにてお店が出店中なので買えます。 1個・・・210円。
(奥がフランボワーズ、手前がパッション)
マカロンのジュワットした層とドーナツの硬さが良く、美味しかった。
阪急プラムキューブにてお店が出店中なので買えます。 1個・・・210円。
就職活動で動けないので、考えとこう。
KOMOREBI DROPは、「日常+」のコミュニケーションツールとして作ったものである。
今回の場合は、仰向けに寝転んで会話するという行為に玩具をくっつけた感じである。
しかし、結果として完成したものは机上の空論的作品であった。いかに、想い・狙いを
形にすることが難しいかあらためて分かった。
では、なぜ「日常+」なのか?
これには、玩具を道具として捉えなおす狙いがある。これは「鍋」の話にも通じるが、
ただの道具に置き直すことで、中心でありながら空気と化す。
そして、行動は日常の行為であることが重要である。ゲームをやりながら、
行う行動は「会話」である。もし、これがそのゲーム自体ならば中心に居座り
でしゃばってくる。そんなスタイルのゲームを否定しないが、「日常+」のスタイルも
あってもいいと思う。
ならば、普通に会話すればいいのでは?
そう、喋ればいいのである。だからこその道具としての玩具なのである。
ただの道具なので、選択してくれれば結構。無くて困るものではなく、
その行為に至るアプローチの1手段に過ぎないのである。
もちろん、その道具を用いた行為には何かが付加される。
それこそが狙う「日常+」であり、その玩具の持つ旨みであれば文句はない。
次回のKOMOREBI~は、'DROP'ではなく'SPOT'。
このシリーズでも「日常+」の発想を大切にする予定である。
次回作(予定)のKOMOREBI SPOT Ⅰでは「眠り」に+しようと思う。
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