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YABONALOG
自作のボードゲーム及びデジタルゲームを無料で配信するとともに、 制作した玩具を公開するKOIKI na NORANEKOの日々を綴ります。
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毎度偉そうなことを語る「考」。
これは実行したいこと、考えていることを、「目」を考えずに公表し、
書き留めておくものである。 なのでよい。

前回でも触れた「道具としての玩具」について。

道具とは、そもそも何だろう。
思うに目的があって初めて生まれる物であり、それが正しいか、
意味があるのかは別として、目的を持って物は道具となると思う。
そして、その目的には幾重にも、或いは並行して目的が隠されている。
これを玩具に置き換えると、Aという玩具はデジタルゲームであり、刺激的な頭脳戦を提供する。
もしくは、Bという玩具はアナログの木の玩具であり、カタカタと音を鳴らす遊び方ができる。
これらは、それぞれABの目的となっている。
しかし、考えたいのはそのもう一つ奥の目的があるかどうかである。

「結局、その目的を果たさせて何を利用者にもたらしたいのか?」

その答えが裏にある目的ではないだろうか。
これは心理学の実験でも考えさせられることだが、実験の目的を果たすだけでは意味がない。
その結果から、何に生かせるのか、何に繋がるのか。

玩具の話に戻れば、例えば「人に楽しんでほしい」。
シンプルなようで、実は難しく、この目的が欠如した玩具も十分にありえるのではないだろうか。
何せ、意識して簡単に生み出せるものではないし、独創性やゲーム性などの要素に
気を取られて見えにくい。

この裏の目的は、実は本来の目的であり重要な要素である。
そして、こう考えれば「玩具」=「楽しませるもの」である必要はない。
例えば、夏の暑い日やイライラして熱くなった時、冷たいソーダを一気に飲むと気分は緩む。
このソーダを美味しく飲むのがもたらすのは、心の緩み。
これにアプローチをかけるイライラさせたり暑くさせるものが玩具で駄目という理由はない。
つまり、その玩具の一見した目的は「イライラさせる・暑くさせる」となる。
だが、玩具を通してソーダを飲む一連の動作が目指す
最終的な目的は「心を緩ませる」ことである。

この捉え方こそ、私が考える「道具として捉える玩具」である。
道具は組み合わせていい。道具は部分を担えばいい。

・・・こんなものを作ってみたい。
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