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自作のボードゲーム及びデジタルゲームを無料で配信するとともに、 制作した玩具を公開するKOIKI na NORANEKOの日々を綴ります。
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まだまだ暑い8月の終わり。感覚的な玩具とはどんなものかを考えてみる。

やっぱり季節柄思いつくのは風鈴。

「音で涼」を感じる道具である。

じゃあ冬版を作ってみようと考える。

まずは風鈴について。

風鈴は風をきっかけに音を鳴らす。夏であったら、風吹くこと自体が涼しい瞬間。

風鈴はその瞬間を音で告げる。併せて音自体も涼しげな音かもしれないし、

暑くてイライラする気持ちを楽にするのかもしれない。

さらに、風鈴を覚えると、音を聞いただけで、どこかの風を感じ、

涼しくなったような気がする…パブロフくん状態である。

また遠くの音は風の訪れを予感させる、ある種の予告演出でもある。

この定着はYUDANETSUKEにもテーマとして置いた

「拠り所」や何らかの投影に通じているのかも。
 

話を戻して、冬の道具を考える。

冬に風鈴を配置すれば「隙間風増幅装置」として活躍間違いなし(笑)

では暖かさを感じる装置とはどんなものか?

風鈴式に考えれば…、

1.きっかけとなるもの自体が暖かい。

2.道具はそのきっかけに応じて、何らかの反応をする(音、光、匂い…など)

3.パブロフくん状態であれば幸せ。

そう考えると、冬は鍋が煮える音や匂いであったり、

薪が焼かれてパチパチ鳴る音だったりするのかもしれない。
 

あっ、もう出ちゃったね。道具。

そんなこんなで、自然にある冬の暖かさを探していきたいと思います。

P.S.
人肌はあったかいので、手形パッド。手を合わしとけば、あら不思議とあったかい、

…そんなことする前に手袋をはめますね(笑)

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自由度を高めるとはどういうことか?

玩具博物館で触れた玩具に感じたのは「委ね」であり、
つい自分が作りがちなのが「放棄」である。
利用者に寄り添う、邪魔をしないというのは、そのモノが
"シンプル"であるということと思う。
安易にしてしまうのは「飾らない」や「選択肢を増やす」など。
だけど、そこに精密な計算が無ければ、
それは「委ね」ではなく「放棄」である。
「委ね」は本当に聞こえはいい。道具として、利用者の手に
委ねられるのは緻密な設計と意図があってのこと。
自分がこの「委ね」の手法をとろうとしても、それは考えることを
やめた「放棄」となってしまう。

きっとシンプルなものほど、しわの数は多いのかも。
毎度偉そうなことを語る「考」。
これは実行したいこと、考えていることを、「目」を考えずに公表し、
書き留めておくものである。 なのでよい。

前回でも触れた「道具としての玩具」について。

道具とは、そもそも何だろう。
思うに目的があって初めて生まれる物であり、それが正しいか、
意味があるのかは別として、目的を持って物は道具となると思う。
そして、その目的には幾重にも、或いは並行して目的が隠されている。
これを玩具に置き換えると、Aという玩具はデジタルゲームであり、刺激的な頭脳戦を提供する。
もしくは、Bという玩具はアナログの木の玩具であり、カタカタと音を鳴らす遊び方ができる。
これらは、それぞれABの目的となっている。
しかし、考えたいのはそのもう一つ奥の目的があるかどうかである。

「結局、その目的を果たさせて何を利用者にもたらしたいのか?」

その答えが裏にある目的ではないだろうか。
これは心理学の実験でも考えさせられることだが、実験の目的を果たすだけでは意味がない。
その結果から、何に生かせるのか、何に繋がるのか。

玩具の話に戻れば、例えば「人に楽しんでほしい」。
シンプルなようで、実は難しく、この目的が欠如した玩具も十分にありえるのではないだろうか。
何せ、意識して簡単に生み出せるものではないし、独創性やゲーム性などの要素に
気を取られて見えにくい。

この裏の目的は、実は本来の目的であり重要な要素である。
そして、こう考えれば「玩具」=「楽しませるもの」である必要はない。
例えば、夏の暑い日やイライラして熱くなった時、冷たいソーダを一気に飲むと気分は緩む。
このソーダを美味しく飲むのがもたらすのは、心の緩み。
これにアプローチをかけるイライラさせたり暑くさせるものが玩具で駄目という理由はない。
つまり、その玩具の一見した目的は「イライラさせる・暑くさせる」となる。
だが、玩具を通してソーダを飲む一連の動作が目指す
最終的な目的は「心を緩ませる」ことである。

この捉え方こそ、私が考える「道具として捉える玩具」である。
道具は組み合わせていい。道具は部分を担えばいい。

・・・こんなものを作ってみたい。

就職活動で動けないので、考えとこう。

 KOMOREBI DROPは、「日常+」のコミュニケーションツールとして作ったものである。
今回の場合は、仰向けに寝転んで会話するという行為に玩具をくっつけた感じである。
しかし、結果として完成したものは机上の空論的作品であった。いかに、想い・狙いを
形にすることが難しいかあらためて分かった。

 では、なぜ「日常+」なのか?
これには、玩具を道具として捉えなおす狙いがある。これは「鍋」の話にも通じるが、
ただの道具に置き直すことで、中心でありながら空気と化す。
そして、行動は日常の行為であることが重要である。ゲームをやりながら、
行う行動は「会話」である。もし、これがそのゲーム自体ならば中心に居座り
でしゃばってくる。そんなスタイルのゲームを否定しないが、「日常+」のスタイルも
あってもいいと思う。

 ならば、普通に会話すればいいのでは?
そう、喋ればいいのである。だからこその道具としての玩具なのである。
ただの道具なので、選択してくれれば結構。無くて困るものではなく、
その行為に至るアプローチの1手段に過ぎないのである。

 もちろん、その道具を用いた行為には何かが付加される。
それこそが狙う「日常+」であり、その玩具の持つ旨みであれば文句はない。

次回のKOMOREBI~は、'DROP'ではなく'SPOT'。
このシリーズでも「日常+」の発想を大切にする予定である。

次回作(予定)のKOMOREBI SPOT Ⅰでは「眠り」に+しようと思う。
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